まさか私にツインレイがいたなんて

アラフィフでスピリチュアル好き、既婚の私がツインレイと出会った。二人の「伴侶」と共に生き、ツインレイとの愛の軌跡と想いを綴るものです。

さびしいけれど、うれしい

限られた短い逢瀬の時間を、精一杯愛し合って、愛し合って。


まだまだ抱き足りなくても、もっと一緒に居たくても、別れの時間は容赦なく迫ってくる。


実は主人の勤務地が、逢瀬するのと同じ場所ということもあり、鉢合わせの危険は絶対避けないといけない(笑)


99%その可能性はないのですが、それでも用心に越したことはないので・・・。


まだ離れたくないよという思いでいっぱいで、チェックアウトぎりぎりまで、ぎゅうってツインレイにしがみつくように抱きついていて。


このまま離れたくないという思いを振り切って、努めて普通の会話をしながら駅まで帰途の途に着く。


このまま、ずっと夜も朝も一緒にいれたらいいのに。


いっそのこと、同じ家に帰りたい。


そう思う気持ちはおんなじで。


乗る電車も別々なので、私の改札口まで見送ってくれて、そこでお別れ。


本当ならハグしたいところだけど、人目があるし、いい年通り越した男女がそんなことしたら、周りの見た目がすごくなってしまうでしょう(笑)


今日はありがとう、またあとでメールするね。バイバイ。


そう言って、私は改札口をくぐっていく。


手を振ってくれるツインレイ、ちょっと笑顔は消えていて。


そうして、互いの住む地へと帰っていくために、また東と西へと、それぞれ離れ離れになっていくのです。


あんなに愛し合ったお互いが、遠ざかっていく。


さびしいなあ、もっと居たいなあ。


ツインレイもそう思ってくれる?


昨日、別れ際の時の話になった時。


寂しいよ、本当は離したくないんよ。


連れて帰りたいくらい。


でも仕方ないんよなあ。


そう、仕方がないのだ。


私たちにはそれぞれ帰るべき家があって、そこで家族が待っているのだ。


現実の世界、現実の家、現実の家族。


これが、私たちが普段は居なければならない場所なのだ。


分かっている、分かっているよ。


それでも、この思いは募る。


もっと会いたい、もっと一緒にいたい、もっと一緒におしゃべりしたい、一緒に夜も朝も過ごしていたい。


もっと、という言葉がどれほど溢れれば気が済むのだろう。


きっと、無限にでも繰り返せるくらいだろう。


それくらい、ツインレイが恋しくて仕方がない。


ツインレイとメールで会話をしているだけでも、やがて体の奥が疼いてくる。


ツインレイと愛し合っていることを想像するだけで、体の奥がきゅんきゅんと疼いてたまらなくなるのだ。


ツインレイをいっぱい、奥深くまで受け入れる、秘められた場所。


それは、ツインレイも同じで、やはり体の反応が高まっている。


私たちは同じように互いを恋焦がれ、求め合い、体の感覚までも共有しようとしているのだ。


さびしいという思いも、やるせなさも、体の疼きも熱も、こうやってお互い分かち合おうとしている。


自分一人だけで抱えて苦しまなくてもいい。


そう思うと、それでも嬉しいものがあります。


自分だけじゃない、って。


どちらか一方通行なものではなく、どこまでもおんなじというのが嬉しい。


もっともっと、いっぱい愛し合って、すべてを忘れて、どこまで快楽の海に二人で沈んでいきたい。


その快楽の海は、どこまでもどこまも深くて、もう深すぎるほど沈んでゆけるのです。