まさか私にツインレイがいたなんて

アラフィフでスピリチュアル好き、既婚の私がツインレイと出会った。二人の「伴侶」と共に生き、ツインレイとの愛の軌跡と想いを綴るものです。

二つの世界を、生きる

既婚同士の私たちだから、こんなに惹かれ愛し合い、離れたくないと願っていても、すぐにそれが叶えられるわけではない。


本当はいつも一緒にいるべき、夫婦として結ばれるはずだったんだと思っている私たち。


けれど、結婚できる時期の時には、まだ私たちが出会えるような魂のレベルには達していなく、お互いが出会える人生の線は交差していなかった。


だから、おそらく一度もすれ違うこともなく、それぞれに別の伴侶を選んでいた。


目の前の伴侶が一生添い遂げるべき、運命の相手なのだと思っていた。


けれど、それはある意味間違いはないけれど、細かくいえば、主人はツインレイではなかった。


魂のつながりがあるたくさんの人の中の一人に過ぎず、言わばソウルメイト。


肩を組んで支え合いながら、共に向かっていく、同志のようなもの。


けれど、長い年月が流れ、自分の魂のレベルも考え方もだいぶ変わっていった中、ようやくお互いの点が交じり合うことを許されたのだろうか、初めてお互いの人生の線がつながった。


お互いの線がつながり、引き寄せられるように私たちは出会い、やがてツインレイだと確信し合った。


この人こそが、本当の魂の伴侶、結ばれるべき相手だったのだと。


けれど、もうそれぞれに家庭を築いていた私たち。


だから、今すぐ何もかも捨てて結婚して結ばれる、というような選択はあり得ないことだし、選びたくもありません。


それをよくわかっているからこそ、私たちは、共に暮らしていたらとか、夫婦でいられたらこうしていただろうねと、夢物語のようなことをよく話します。


それは、切なくもあり、幸せでもあり、現実を想い知るようでもあり、けれどやはり、お互いの愛を強く感じ合えることでもあるのです。


ツインレイの手を取ることができたらどんなに良いか。


それは、もう本当に文字通り、地球がひっくり返るとか決してあり得ないこと。


奇跡でも起きない限り、あり得ないことですね。


けれど、ツインレイとこうして愛を交わし合えていることは、やはり何よりも嬉しくて幸せで仕方がない。


ツインレイと二人きりでいられて、果てしなく愛を交わし合えて、そして本当の夫婦としてずっと共にいられる場所。


それは、精神の世界しかない。


精神の世界でなら、ツインレイのことしか考えられず、ツインレイしか見ず、ただただ愛を交わし合う。


どこまでも深く寄り添い合う。


もう二度と決して離れないように、魂も心も一つになって溶け合えるように。


精神世界でなら、そんな風に想像して過ごしていることはいくらでもできることで、それを誰かに批判されたり踏み込まれることもない。


そう思っていたら、ツインレイもやはり同じことを考えていました。


心の世界では、ずっととわのつきを、腕の中に居させたいよ、と。


心の世界。


それもまた、素敵な響きだなと思いました。


精神の世界と言うより、心の世界と呼ぶ方が好きかな(笑)


心の世界では、私たちはようやく身も心も魂も本当に一つとなって結ばれて、決して離れることなく共に過ごして、いろんなことを分かち合える。


その心の世界が、現実になればいいのにな、とほんのわずかな夢を見ながらも。


それをそっと心の奥に、宝物のように閉じ込めながら、普段は現実の世界として、主人と共にそれなりに仲良く過ごしています。


現実の世界では、主人と共に生き、寄り添っていかなければならない。


二つの世界を行き来するように生きている自分を、やはり、とても不思議に思います。


まさか、自分がこのような生き方をするとは夢にも思いませんでした。


けれど、これからも、この二つの世界を守り、行き来し、生きていきたいと願ってやまないのです。