まさか私にツインレイがいたなんて

アラフィフでスピリチュアル好き、既婚の私がツインレイと出会った。二人の「伴侶」と共に生き、ツインレイとの愛の軌跡と想いを綴るものです。

どうして現れたんだろう

ツインレイの「ツ」の言葉も知らなかった時に、思いかげず出会えることになった今のツインレイ。


彼と出会ってからもうというか、まだというか、とにかく2年目になりました。


そんなに頻繁に会えているわけではないけれど、それでも何度か休日に逢瀬を重ねて、体も心も言葉もいっぱい重ね合って。


その都度、何度も彼と出会えた奇跡の幸せをかみしめています。


ツインレイと出会って、自分でも気づかないうちに忘れ去り、もしくは心の底に封印してしまった感情に気づきました。


さびしい。
女として愛されたい。
自分を否定されたくない。
今の自分でいいと、もっと認められたい。
もっとたくさん楽しい会話をしたい。
ストレスやイライラをなくしたい。


特に「さびしい」「本当はもっと分かち合いたい」、この感情を大きく封印していたことに気づかされました。


代わりに「一人の時間もあるし自由だよ、どうってことない」「さびしくない」、そう強がっている自分がいました。


本当にそれが、本当の自分だと信じて疑わなかったので。


ツインレイに出会って愛され、本当の自分を自然に分かってくれる彼に触れて、封印していた感情が解かれ、少しずつ浮上しては癒されていきました。


セッ〇スでも自分は感じることない、気持ちよくなれない。


ずっとそう思っていたのですが、やはりそれも思い込みであったことを、ツインレイとのそれで気づかされました。


自分が「女」であることを忘れかけていて、そして「女」としての喜びをずっと味わったことがなかったからでした。


セッ〇スイコール、痛い、楽しくない、面倒くさい、疲れる。


こんなイメージがいつの間にか出来上がっていて。


ある意味、未経験も同じでした。


ツインレイは、ずっと閉ざされていた官能の扉を優しく開け、私を導いてくれました。


ツインレイに愛されて「女」としての幸せと歓びを見出し、私の体は潤いに満ちていき、細胞の隅々までもが甦っていくようでした。


それはツインレイも同じで、彼もまた、満たされています。


そして、日常においても「寂しい」という封印していた感情を見つけ、それを少しでも満たそう、寂しくないようにしようと、できるなりに力を尽くそうとしてくれるツインレイ。


お互いの立場もあるからどうしても限りはあることすれ、私のことを心から想い、幸せを願ってくれるツインレイ。


そこには、献身的な愛すら感じられるほどで。


こんな、と言ってはいけないけれど、それでもこんな自分がこれほど愛されるなんて、と時々、その事実に魂が震えそうになるのです。


魂まるごと愛されている、って、もう一言でいえば、こんなにも喜びが深いものなのです。


置かれている立場も理屈も関係ありません。


とわのつきは十分に魅力的なんだよ、とツインレイ。


とわのつきはもっと幸せになるべき人、もっと幸せにしてあげたい。


そう言ってくれたツインレイ、その気持ちが痛いほど、涙が出るほど嬉しくてたまりませんでした。


ツインレイは、こんな風に魂が求めてやまなかった言葉を自然にくれるのです。


ツインレイの心、愛の深さに心が動かされ、尊敬すら抱いてしまいます。


なんて包容力の大きい、器の深い人なんだろう、と。


もちろん、それもまた、愛する私に対してだからこそできることなのだと思います。


ツインレイに出会えたから、また新しい私が生まれた。


人生が確かに変わりました。


ある意味、覚悟を貫かなければならない、秘められた人生でもあります。


どうして、ツインレイに出会ったんだろう。


一般的に、ツインレイとはよほどの縁というか、そのタイミングがなければ決して出会えないと聞きます。


実際、私がとある行動に一歩踏み込まなければ、お互いの存在は決して人生上で交わることなく、永遠にすれ違ったままでいたでしょう。


私はもちろん、彼も孤独という闇の中をさまよい、空しく生き続けていたかもしれない。


けれど、私たちが出会うことができ、互いがツインレイなのだと相互認識することができた。


私は本気で、神様が私たちを巡り会わせてくれたのだと思っています。


一卵性親子のように思っていた、仲良かった母を数年前に亡くした時。


母がやがてその命の灯火が消えてしまうと分かった時、私は一人で生きていかなければと思いました。


この世の誰よりも自分のことを分かってくれていると思っていた母を喪おうとしているのだから、そしたら孤独になるのだと。


旦那はいてくれるけれど、それでも私が望む本当の理解者ではないのです、申し訳ないながら。


だから、母を喪ったら、その孤独感を抱えてずっと一人で生きていかなければならないのだとそう決めて、母の死後もそうして過ごしていた私に。


神様が最後に、ツインレイという人生で最高の素晴らしい贈り物をしてくれたのではないか。


そう思いたいのです。


それが、決して今世では決して結ばれることのない愛であったとしても。


確かに、今世では「結婚」という3次元上の目に見えるシステム制度の形で結ばれることは、よほど何かが起こらない限りでも無理なことでしょう。


そう思うと、確かに切ないし、時には切なすぎて胸が張り裂けそうな時もあります。


それは、ツインレイも同じく。


けれどそれでも、決して結婚はできないとしても、心と心、魂はこんなに深く結びついている。


もう、この結びつきは、例え神様でも切り離すことはできない。


こんなに強くひかれ合い、求め合い、愛し合ってやまない。


こんなに深く魂を愛し、愛されているその喜びと幸せに比べれば、結婚という目に見える形で結ばれないことなんてかすんでしまいそうになるのです。


私は、この全身全霊をかけてツインレイを深く愛し、そして愛されていること。


ただただ、そのことに心を向けていたいのです。


それが、今の自分に必要であり、大切であり、すべてではないかと思っています。