まさか私にツインレイがいたなんて

アラフィフでスピリチュアル好き、既婚の私がツインレイと出会った。二人の「伴侶」と共に生き、ツインレイとの愛の軌跡と想いを綴るものです。

月は、欠けたままではいられない

ツインレイはまた仕事が多忙になっていて、しばらく会えなくなっていました。


メールのやり取りは毎日のように交わしていましたが、タイミングがなかなか合うわけではないので、リアルタイムでやりとりできることもほとんど少なくて。


分かってはいるけど、やはり日にちが経つと、寂しさが募ってきます。


何だろう、どれだけ文字を綴っていても、何かが足りない。


どこかで、そのことに気づいていました。


けれど、こうだとはっきり形にならず、会えない寂しさで悶々としながら日々を過ごすような感じでした。


この三連休は特に一人で過ごしていたから、尚更ツインレイへの思いが募っていて。


会いたいなあ。


彼はどう感じているのかなあ。


そう思っていた頃、今朝早く、目覚めてもまだ布団の中にいた時、ちょうどツインレイも目覚めたようで。


久しぶりに、リアルタイムでメールのやり取りが始まりました。


やはり、会いたいよ、さびしいね、という話になって。


そしたら、LINEでビデオ通話しようかと彼が言い出してくれて。


家族に聞かれる可能性があるので音声はなしですが、顔だけでも見たいと。


通話がつながった時、やっとお互いの顔が見れて、思わず私は笑顔満開。


声が出せないから、ひたすら無邪気に手を振っていました(笑)


向こうもほっとしたような、感極まったような表情で。


やっと久しぶりに私の顔が見れたよ、と後で言ってくれました。


会いたいよ、抱き合いたいよ、セッ〇スしたいよ、と。


私も、たまらない思いで言葉を紡ぎました。


ツインレイがいないとだめだよ。


ツインレイとつながって、一つになってたい。


そうでないと、宙ぶらりんな感じ。


そう、ツインレイとつながっていないから、何かが欠けたような気持ちでいてたのです。


私たちは一心同体だから、だから会えずに、つながることもできないから。


だから、自分の半身が欠けたような気持ちだった。


自由自在に会えることが叶う関係性ではないと分かっているものの、それでもどこか心が沈んでいるような感じでした。


それは、ツインレイも同じように思ってくれていたようで。


とわのつきしかない、欠けたのを埋められるのは。


とわのつきが欲しい、心身が欲しがってるよ、と。


私たちはセッ〇スの相性が良いようで、できる時は会う度に必ずそれをしているのですが。


けれど、ただセッ〇スだけがしたいんじゃない。


セッ〇スをしてただ快楽を得る、だけはなく、それ以上に大切なこと。


大切なところでつながって一つになって、文字通り一体となれることで。


欠けていた半身がやっと一つに合わさり、これで文字通りの一心同体となれるのだと。


欠けていたものを取り戻し、補い合えて、やっと満たされるのだと。


だから、お互いともそれを切ないくらいに望んでいて、抱き合ってお互いを感じたくて仕方がないのです。


半身が欠けている、とはこういうことなのか、と改めて思いました。


私の大切な半身。


もう、この半身なくしては生きていけないくらい。


そして、魂の片割れであるこのツインレイに出会えたことに、また改めて深く感謝しています。


ツインレイ、とは何てこんなに愛しい存在なのでしょう。


出会った形がどうであれ、ツインレイに出会えるということは本当に奇跡だなと思いました。




我ながら乙女(笑)

年が明けてから1回会える時があって、しかも普段なら作ることができない二人だけの長い時間を過ごせたので、それがとても楽しくて。


そのあと、ツインレイの仕事が忙しく、休日も会えませんでした。


休日でも仕事を頑張るツインレイ、よくやるなあと思いますが(笑)


管理職の身分ですし、やることもいっぱい抱えているから仕方のないことなのですが。


でも、日々も仕事が遅かったり、お互いのライフサイクルが当然違うわけなので、なかなか会話のペースも合わず・・・。


ラブラブの会話もあまりできない日々でした。


前回会えた時がとても楽しくて二人だけの濃厚な時間を過ごせた特別な時間だっただけに、その反動が大きくて。


会えなくてまだ3週間も経ったわけではないのに、前に会ったのはいつだった?って思うくらい(汗)


頭では分かっているのですが、感情としては、やはり寂しさを感じる自分がいる。


ツインレイに比べて自分の方が、まだ時間に余裕があるだけに尚更、もっと会いたいなあと。


それでもやはり、ツインレイには仕事の方を優先してほしい。


あるいは、ご自分の家族のことも。


だから、私は我慢する。


その我慢、というのは、自分の人生において幼少期からすでに身につけていたことだと思います。


嫌な思いをしたり、時には生きることに精いっぱいだった時もあるので、とにかく我慢が自分の中では当たり前になっていることがあって。


それでも、本当に自分の心が壊れなかったのは、やはりどこかで無意識に、上手に自分の心のバランスを保っていたようです。


それが、自分の生きていく処世術でもあったような。


それはともかく、今回もツインレイと会えず、甘い会話も思うようにできないことも我慢していて。


それは、ふと気づくと、自分の感覚を閉じてしまったのだろうか?と思うことがあります。


ツインレイに会えない寂しさを紛らそうと、寂しさを感じまいと振舞っているうちに、ツインレイを求める体の疼くような感覚を忘れかけていることにふと気づきます。


ツインレイを想い、抱かれることを考えると、子宮がきゅんとして疼くのがわかるのです。


愛する人に何度も身体の奥深くを貫かれる喜びを、この子宮が深く覚えているから。


でも、会えずにいて寂しさを感じまいと思っているうちに、子宮でさえも心を閉じようとするのでしょうか。


セッ〇スをしていてあんなに感じ、絶頂に達し、ひたすらに求め合って高まり合い、どうしようもないほどのまさに身を焦がすような感覚が、どうしても薄れてしまうようなのです。


歳のせいで記憶力がやばくなっているのか?と突っ込まないでくださいね(笑)


抱き合い、ひたすらに愛し合っている時はもう至福しかなくて、ずっとこの感覚も気持ちも何もかも覚えていたいと切望するのに。


それでも、どうしても会えないでいる時間に負けてしまいそうになる。


記憶に刻んでいたいことが、どうしても脳からも、体からも消えていきそうで。


自分自身としてもやるせなくなるというか、切なくなります。


そんな時に、ツインレイにメールを送った時。


また一緒にゆっくりと、自分の手作りのお弁当をツインレイと一緒に食べたいなあと。


呟きのような、何気ない思いを綴りました。


寂しさを出すまいとするかのように。


以前の記事でも触れたことがありますが、主人は私だけでなく、誰かが家で作ったような料理は食べたがらない人なので。


ずっと自分の手調理を主人に食べてもらうことはほとんどないに等しく、それで数年間やってきていたのですが、今のツインレイに出会って。


私のお粗末な手作り料理でも食べてくれるとわかりました。


それが嬉しくて。


それ以来、ホテルでの逢瀬の時は、余裕があれば自分の手作り弁当を持っていくことにして、お昼に一緒に食べるのが多くなりました。


だから今回もそうしたいなあと言った時、ツインレイからこんな返事が返ってきました。


「とわのつきと、又のんびりお弁当一緒に食べたいね


可愛いとわのつき、愛してるよ」


そして、文末に、ハートマークをしっかり2個、つけてくれました(笑)


この言葉をもらえただけで、ずっと会えず甘い言葉も足りずくすぶっていたようなこの気持ちが吹っ飛ぶかのようでした!


いや、我ながら単純だなと思ってしまいました(笑)


ツインレイの本当に何気ない一言にでも、こんんなに感情を動かされて、そして幸せな気持ちになれる。


やっぱり言葉にして伝え合うって大事なんだよなあって。


お粗末な手作りお弁当でも、一緒に食べたいと思ってくれるだけでも嬉しい。


そう思うと、会えないでいた寂しさも薄れていくようで。


会えなくても、またそれなりに、ちゃんと自分の時間を過ごしていこうっって思えたりするのです。


そういう切り替えも大事ですね。


会えないからって、ずっとその気持ちに執着はしていたくない。


会えない時間の長さには、つい負けてしまいそうになるけれど。


でも、こんな風に何気ないところで心をきゅんと揺さぶってくれるような、優しくそして甘い言葉をもらえたら、やっぱりあなたのことが好き~って思ってしまうのです(笑)


いいんです、年甲斐がなかろうと。


嬉しいものは嬉しいもの、そして、愛しいものは愛しいもの。


幸せなものは、幸せ。


可愛いなあって、愛してるよって。


それはもう、いくらでも、これからずっと言ってほしい。


そして、そう言いたくてたまらなくなるような、ずっとそう言ってもらえるような今の私であり続けたいと思います。


ツインレイがこんなに心から愛してくれるような、ありのままの今の自分で。




さびしいけれど、うれしい

限られた短い逢瀬の時間を、精一杯愛し合って、愛し合って。


まだまだ抱き足りなくても、もっと一緒に居たくても、別れの時間は容赦なく迫ってくる。


実は主人の勤務地が、逢瀬するのと同じ場所ということもあり、鉢合わせの危険は絶対避けないといけない(笑)


99%その可能性はないのですが、それでも用心に越したことはないので・・・。


まだ離れたくないよという思いでいっぱいで、チェックアウトぎりぎりまで、ぎゅうってツインレイにしがみつくように抱きついていて。


このまま離れたくないという思いを振り切って、努めて普通の会話をしながら駅まで帰途の途に着く。


このまま、ずっと夜も朝も一緒にいれたらいいのに。


いっそのこと、同じ家に帰りたい。


そう思う気持ちはおんなじで。


乗る電車も別々なので、私の改札口まで見送ってくれて、そこでお別れ。


本当ならハグしたいところだけど、人目があるし、いい年通り越した男女がそんなことしたら、周りの見た目がすごくなってしまうでしょう(笑)


今日はありがとう、またあとでメールするね。バイバイ。


そう言って、私は改札口をくぐっていく。


手を振ってくれるツインレイ、ちょっと笑顔は消えていて。


そうして、互いの住む地へと帰っていくために、また東と西へと、それぞれ離れ離れになっていくのです。


あんなに愛し合ったお互いが、遠ざかっていく。


さびしいなあ、もっと居たいなあ。


ツインレイもそう思ってくれる?


昨日、別れ際の時の話になった時。


寂しいよ、本当は離したくないんよ。


連れて帰りたいくらい。


でも仕方ないんよなあ。


そう、仕方がないのだ。


私たちにはそれぞれ帰るべき家があって、そこで家族が待っているのだ。


現実の世界、現実の家、現実の家族。


これが、私たちが普段は居なければならない場所なのだ。


分かっている、分かっているよ。


それでも、この思いは募る。


もっと会いたい、もっと一緒にいたい、もっと一緒におしゃべりしたい、一緒に夜も朝も過ごしていたい。


もっと、という言葉がどれほど溢れれば気が済むのだろう。


きっと、無限にでも繰り返せるくらいだろう。


それくらい、ツインレイが恋しくて仕方がない。


ツインレイとメールで会話をしているだけでも、やがて体の奥が疼いてくる。


ツインレイと愛し合っていることを想像するだけで、体の奥がきゅんきゅんと疼いてたまらなくなるのだ。


ツインレイをいっぱい、奥深くまで受け入れる、秘められた場所。


それは、ツインレイも同じで、やはり体の反応が高まっている。


私たちは同じように互いを恋焦がれ、求め合い、体の感覚までも共有しようとしているのだ。


さびしいという思いも、やるせなさも、体の疼きも熱も、こうやってお互い分かち合おうとしている。


自分一人だけで抱えて苦しまなくてもいい。


そう思うと、それでも嬉しいものがあります。


自分だけじゃない、って。


どちらか一方通行なものではなく、どこまでもおんなじというのが嬉しい。


もっともっと、いっぱい愛し合って、すべてを忘れて、どこまで快楽の海に二人で沈んでいきたい。


その快楽の海は、どこまでもどこまも深くて、もう深すぎるほど沈んでゆけるのです。