まさか私にツインレイがいたなんて

アラフィフでスピリチュアル好き、既婚の私がツインレイと出会った。二人の「伴侶」と共に生き、ツインレイとの愛の軌跡と想いを綴るものです。

人生の誇り

気がつけば、前回の記事より、1ヶ月近く経っていました!


今日は、ツインレイと今年最後の逢瀬でした。


ツインレイの家庭の都合もあって、会えた時間はわずか4時間足らず・・・(泣)


それでもめいっぱい時間を惜しんで、ひしと抱き合い、身も心も一つになって過ごしました。


一緒に居られる時間が少なくて切ないからこそ、体の感覚もますます高まっていて、とにかく本能に突き動かされるままにお互いを求め合いました。


帰り、別々の電車で帰途の路に着く途中、愛の言葉を交わしていて。


もっと一緒に居たかったという思いがとても高まっていたのか、とても情熱的な愛の言葉をいっぱい語ってくれました(笑)


運命の人、出会うべき女性。


それが、とわのつき。


オレの人生には、必ず出てくることが定まっていた、と。


ツインレイも、魂の伴侶だということを本当に心から理解してくれているんだなと、やはり嬉しくなりました。


今の人生で出会うことが約束されていた、魂の伴侶なんだから。


ずっとずっと、ツインレイを探し求めていた、魂の底から。


今となっては、よくわかります。


当時は漠然としていたけれど、ツインレイである彼を、無意識にずっと探していたのでしょう。


どうしても埋められずにいた心の空虚感、孤独感、女性として愛されることに飢えていたこと、それらを満たせられるのが彼以外にはあり得なかった。


そう思うと、他に誰かの手を取ったり、うっかり騙されて違う人の手に落ちたりすることがなくて本当に良かったなあと、少し怖くも思います。


見えない運命の糸が、時間がかかってでも、確実にツインレイのところへたどり着くようにと導かれていたと信じたい。


ツインレイも、同じく。


そう思うと、本当にツインレイの仕組みというようなのは不思議なものです。


YouTubeでも、ツインレイのことについて発信されている方は大勢いますね。


ツインレイが存在すること、天の導き、など。


どこまでも深く底がない、二人だけの愛の世界、と私は言い、ツインレイも同感してくれましたが。


本当に、その二人だけの愛の世界こそが、パラレルワールドのように思えるくらいです。


もしくは、5次元あるいは6次元の世界。


スピリチュアルの話になってしまい恐縮ですが、今私たちがこうして存在しているのは、三次元の世界。


エゴも、物質のしがらみも、嫉妬も憎悪も、いろんなことがあり、次元が低いと言えば低いでしょう。


でも、5次元、6次元と上がると、そこにはもうしがらみもエゴもなく、ただ慈愛などに満ちている。


ツインレイと二人だけでいたいその世界は、本当にお互いしか見えず、互いへの深い愛と優しさかないように思います。


それが、5次元の世界だったらいいなあ、と。


共に過ごす時間がある限り、二人だけの愛の世界ですべてを忘れ、ひたすらに互いを貪るように求め合い、何もかをも分かち合って、そうして本当に身も心も溶けていって完全な一つになってしまいたいです。


こんな風に願えること、心から強く望むことも、愛するツインレイがいるからこそ。


自分の人生にツインレイが現れ、こうして共に寄り添い合い、存在してくれていることが、自分にとって大きな誇りです。


決して、誰にも言うことができなくとも、自分の心に秘めていればよい、大切な誇りです。



空気が心地よくて

ツインレイと会って話していると、よく思うこと。


それは、ツインレイといて、とても穏やかでいられることです。


メールでのやり取りもそうですが、本当はいっぱいジョークが飛び交っていて、夫婦漫才をしているのか私たちは!と突っ込みたいくらいで(笑)


私もたくさん話したいことがあって止まらないし、ついつい声が大きくなったりと、にぎやかなところもあるのですが。


それでも、彼と過ごす空気が、とても心地いいと感じられるのです。


主人といる時も、優しいところはあるし、コミュニケーションもジョークも飛ばしたりしながら手もつないだりしていますが。


時々、イラっとすることがあります。


聞きたくない言葉ー例えば何かを見下しているような、自虐的のようなーそんなことを聞かされて、正直気分が悪くなることも決して少なくはなくて。


それはもう、昔からで、今に始まったことではないです。


度が過ぎることがあるというのか、天然なのか、元々主人は変わり者なので、他人と比べようがないというかどうしようもないというか(苦笑)


もう長年の馴れ合いなので今更ですが、ツインレイと過ごすようになって、やっぱり嫌なものは嫌だったんだなと改めて気づかされました。


正直に嫌と気持ちを伝えても、主人は、だからといってすぐに改めるようなことはしなくて。


むしろ、何でそう言われるのかわからないといった感じで、以前と変わらずです。


そんな中、ツインレイと出会って、月に数えるのもわずかくらいだけど会えた時に。


やはり、ツインレイは違うといつも思います。


包容力と言うのでしょうか、本当に丸ごと、大きく包み込んでくれる感じがするのです。


今の私でいい、今の私をそのまま見守るように温かく包み込んでくれる。


そんな感じがしています。


そんなんだからダメなんだろ、とか、とわのつきの〇〇が悪い、とか自身に関して非難されるようなことは、付き合ってから一度も聞いたことがないような気がします。


むしろ、下手に口を挟まないし、自分の意見を押し付けることもない。


無関心なそぶりは決してなく、ちゃんと私の話を聞いてくれているという安心感が生まれる。


本当はもっとじっくりと事情なり私の気持ちなり説明すれば、ツインレイの方も合点がいくという感じでもっと多角的に意見をくれそうなのですが。


そこまで分かってもらえるまでに話すには、あまりにも語らう時間がなさすぎて。


けれど、聞いてくれるだけでも嬉しいし、何より非難とか批判とか、けなされるというようなことがないのが嬉しいのです。


過去に、そういうような思いをしてきたことが多かったので、やはり悲しくなったり自己価値が低くなってしまったりしていました。


主人がすべてそうしているわけではないけれど、やはり、言われたくないことを言われるということはありました。


逆のパターンで、私がきついことを主人に対して言葉を吐いている、ということもきっとあり得ていると思います。


自分で言っていて耳が痛いですが(笑)


つまり、どっちもどっちかもしれませんね。


ツインレイといると、限られた時間を大切に過ごそうとしているせいもあるかもしれませんが、イライラすることも、彼に対して何でそうなのと思うようなことも、未だにないような気がします。


ただ、ツインレイに抱きしめられているとそれだけで、自分が存在していて良かったって思えるのです。


自分でも不思議なことですし、他人から見ればオーバーなことだと思われるかもしれませんね。


ただ、私はそうされたかったのだなと改めて思えるのです。


ただ慈しむように包み込まれ、抱かれ、穏やかに彼の腕の中にいたい。


私が笑顔を浮かべると、ツインレイも愛おしくてたまらないという風に「かわいいな」と何度も言ってくれるのも幸せで。


それならば、彼にはいっぱい笑顔を向けていたいと思えるのです。


私は言い争いも喧嘩も本当は嫌いなのですが、きっとそれはツインレイも同じで。


そんなものはきっと必要のない私たちだと思うのだけれど、ツインレイの纏う空気が穏やかだと感じられるのは、心地いいことだったんだなと。


そんな穏やかな空気に触れて、自分の纏う空気も凪いだ海のように穏やかでいたいと思う。


お互いの纏う空気が溶け合うように一つの空気となって、そのまま身も心も溶け合えたら、もう完全なる一心同体なんだなあって。


会えない日が続く時は、ツインレイの纏う穏やかな空気がとても恋しくなります。


ツインレイの匂い、体温も恋しい。


会えない日々が続くと、どうしても記憶が薄れていってしまうのです。


あんなに愛し合ったのに、匂いもぬくもりも。


もっともっと、ツインレイに身も心も熱く深く、それでいて穏やかに優しく包み込まれて、そのまま永遠となりたいくらいなのです。



本能

ツインレイと会えば必ず体を重ね、その度に何度も愛の言葉を交わします。


溢れる思いのままに見つめ合ってキスを飽きることなく繰り返し、互いの体のぬくもりを確かめて安心するように、何度も触れ合って。


つながって一つになっている時は、本当はこうなっているのが当たり前なのだ。


私たちはこうでなければいけなかったのだと、何度も何度も、不思議なくらいの強いその想いに駆られます。


私の魂の片割れである、ツインレイの彼だから。


だからこそ、また一つに戻りたいと、魂がそう望むのでしょうか。


本来は一つであった魂が二つに分かれるということ、それもきっと意味があって必要だからこそ、もたらされたことだと思うのですが。


それだけに、本当はかなりの確率が低いという互いの出会いが果たされたからこそ、また一つに戻りたいと魂が叫ぶのでしょうか。


とにもかくも、その魂の叫びに突き動かされるかのように、ただひたすらに私たちは求め合います。


決して若くはない私たちなので、持久力はあまりない方なのですが(笑)


特に、ツインレイの方は気持ちがあっても、肉体が追いつかないことがあります。


私にとっては全然それは問題ないことで、快楽の果てになかなかたどり着かなくても、ただ抱き合えるだけで幸せなのです。


快楽の果てを見ることなくても構わない。


ただこうして一緒に居れて抱き合えて、互いにずっと触れ合うことができるのなら、いつまでだってそうしていたいくらいなのです。


そのまま、永遠でいることができたら、もう至福の一言しかないのでしょうか。


もういい年も超えている年齢の私ですが、まだ女性としての機能は残っているので。


ツインレイには避妊を続けてもらわないといけません。


快楽の果てが見えてきた時、ツインレイは毎回といっていいくらい、こう言います。


「出したい。


とわのつきの中に、奥深くに出したいよ。


愛し合った証を、残したい」と。


それは、とても切なく悲壮な叫びのようでもあり。


自分とて、受け止められるのならいくらでも受け止めたいです。


けれど、自分の体に妊娠の可能性がまだ残っている以上は、そのリスクを冒すわけにはいかないので。


結果的には、外に出してもらっています。


出し切ってしばらく放心するツインレイを、ただ愛しくて精一杯抱きしめています。


そうすることで、愛する女の中に愛し合った証を刻むことができない彼の悲しみ、やりきれなさを少しでも慰められられたらいいな、と。


私は、自分から望んで今の主人との間に子供を作ることはしませんでした。


他にとある理由もあって、それが一番望ましいことだと信じて疑わなかったからです。


それが、自分の本当の望みだと思っていました。


それが故に、夫婦二人暮らしのままで今に至り、出産や育児といった経験は全く無縁です。


そのことについて後悔などは微塵もありません。


けれど、とある会話の中で、ツインレイがこう言ってくれました。


「とわのつきに、オレの子供を産んでほしい、と思う。


本能だね。


本当に愛し合っている夫婦なら、ごく自然なことだよ。


(本来なら)オレが教えるから」


それを聞いて、そうか、子供を産んでいる人生もあり得たのかと不思議な気持ちになりました。


もしかするとツインレイとなら、子供ができたとしても、自分の求めている願いや希望を失うことなく、育児も彼との愛もすべてが同時進行のように進めていくことができたのだろうかと思いました。


そして、男の本能ってそうなんだなと、すごいなあとも単純に思ってしまいました。


愛する女に証を刻み、子供を作りたい。


男性側にそういう気持ちがあるということすら、自分は知らなかったのかもしれません。


動物がごく自然に生殖行為を行い、子孫を残していくという本能が備わっているように、ツインレイもまさしくその本能に突き動かされるんだなと。


そして、それだけ愛され、求められているんだと思うととても嬉しくなりました。


女として愛されている、これもまた女と生まれ生きている自分としても喜びを感じるものです。


もし、若いうちにもっと早く出会い、結婚を叶えていたならば、子供を産み育てていた私が存在していたかもしれませんね。


そんな世界が、パラレルワールドという、別次元の世界では本当に存在しているかもなあ、と時々夢を見たい私なのでした。




(実際の写真ではありません)