まさか私にツインレイがいたなんて

アラフィフでスピリチュアル好き、既婚の私がツインレイと出会った。二人の「伴侶」と共に生き、ツインレイとの愛の軌跡と想いを綴るものです。

本能

ツインレイと会えば必ず体を重ね、その度に何度も愛の言葉を交わします。


溢れる思いのままに見つめ合ってキスを飽きることなく繰り返し、互いの体のぬくもりを確かめて安心するように、何度も触れ合って。


つながって一つになっている時は、本当はこうなっているのが当たり前なのだ。


私たちはこうでなければいけなかったのだと、何度も何度も、不思議なくらいの強いその想いに駆られます。


私の魂の片割れである、ツインレイの彼だから。


だからこそ、また一つに戻りたいと、魂がそう望むのでしょうか。


本来は一つであった魂が二つに分かれるということ、それもきっと意味があって必要だからこそ、もたらされたことだと思うのですが。


それだけに、本当はかなりの確率が低いという互いの出会いが果たされたからこそ、また一つに戻りたいと魂が叫ぶのでしょうか。


とにもかくも、その魂の叫びに突き動かされるかのように、ただひたすらに私たちは求め合います。


決して若くはない私たちなので、持久力はあまりない方なのですが(笑)


特に、ツインレイの方は気持ちがあっても、肉体が追いつかないことがあります。


私にとっては全然それは問題ないことで、快楽の果てになかなかたどり着かなくても、ただ抱き合えるだけで幸せなのです。


快楽の果てを見ることなくても構わない。


ただこうして一緒に居れて抱き合えて、互いにずっと触れ合うことができるのなら、いつまでだってそうしていたいくらいなのです。


そのまま、永遠でいることができたら、もう至福の一言しかないのでしょうか。


もういい年も超えている年齢の私ですが、まだ女性としての機能は残っているので。


ツインレイには避妊を続けてもらわないといけません。


快楽の果てが見えてきた時、ツインレイは毎回といっていいくらい、こう言います。


「出したい。


とわのつきの中に、奥深くに出したいよ。


愛し合った証を、残したい」と。


それは、とても切なく悲壮な叫びのようでもあり。


自分とて、受け止められるのならいくらでも受け止めたいです。


けれど、自分の体に妊娠の可能性がまだ残っている以上は、そのリスクを冒すわけにはいかないので。


結果的には、外に出してもらっています。


出し切ってしばらく放心するツインレイを、ただ愛しくて精一杯抱きしめています。


そうすることで、愛する女の中に愛し合った証を刻むことができない彼の悲しみ、やりきれなさを少しでも慰められられたらいいな、と。


私は、自分から望んで今の主人との間に子供を作ることはしませんでした。


他にとある理由もあって、それが一番望ましいことだと信じて疑わなかったからです。


それが、自分の本当の望みだと思っていました。


それが故に、夫婦二人暮らしのままで今に至り、出産や育児といった経験は全く無縁です。


そのことについて後悔などは微塵もありません。


けれど、とある会話の中で、ツインレイがこう言ってくれました。


「とわのつきに、オレの子供を産んでほしい、と思う。


本能だね。


本当に愛し合っている夫婦なら、ごく自然なことだよ。


(本来なら)オレが教えるから」


それを聞いて、そうか、子供を産んでいる人生もあり得たのかと不思議な気持ちになりました。


もしかするとツインレイとなら、子供ができたとしても、自分の求めている願いや希望を失うことなく、育児も彼との愛もすべてが同時進行のように進めていくことができたのだろうかと思いました。


そして、男の本能ってそうなんだなと、すごいなあとも単純に思ってしまいました。


愛する女に証を刻み、子供を作りたい。


男性側にそういう気持ちがあるということすら、自分は知らなかったのかもしれません。


動物がごく自然に生殖行為を行い、子孫を残していくという本能が備わっているように、ツインレイもまさしくその本能に突き動かされるんだなと。


そして、それだけ愛され、求められているんだと思うととても嬉しくなりました。


女として愛されている、これもまた女と生まれ生きている自分としても喜びを感じるものです。


もし、若いうちにもっと早く出会い、結婚を叶えていたならば、子供を産み育てていた私が存在していたかもしれませんね。


そんな世界が、パラレルワールドという、別次元の世界では本当に存在しているかもなあ、と時々夢を見たい私なのでした。




(実際の写真ではありません)