さびしいけれど、うれしい
限られた短い逢瀬の時間を、精一杯愛し合って、愛し合って。
まだまだ抱き足りなくても、もっと一緒に居たくても、別れの時間は容赦なく迫ってくる。
実は主人の勤務地が、逢瀬するのと同じ場所ということもあり、鉢合わせの危険は絶対避けないといけない(笑)
99%その可能性はないのですが、それでも用心に越したことはないので・・・。
まだ離れたくないよという思いでいっぱいで、チェックアウトぎりぎりまで、ぎゅうってツインレイにしがみつくように抱きついていて。
このまま離れたくないという思いを振り切って、努めて普通の会話をしながら駅まで帰途の途に着く。
このまま、ずっと夜も朝も一緒にいれたらいいのに。
いっそのこと、同じ家に帰りたい。
そう思う気持ちはおんなじで。
乗る電車も別々なので、私の改札口まで見送ってくれて、そこでお別れ。
本当ならハグしたいところだけど、人目があるし、いい年通り越した男女がそんなことしたら、周りの見た目がすごくなってしまうでしょう(笑)
今日はありがとう、またあとでメールするね。バイバイ。
そう言って、私は改札口をくぐっていく。
手を振ってくれるツインレイ、ちょっと笑顔は消えていて。
そうして、互いの住む地へと帰っていくために、また東と西へと、それぞれ離れ離れになっていくのです。
あんなに愛し合ったお互いが、遠ざかっていく。
さびしいなあ、もっと居たいなあ。
ツインレイもそう思ってくれる?
昨日、別れ際の時の話になった時。
寂しいよ、本当は離したくないんよ。
連れて帰りたいくらい。
でも仕方ないんよなあ。
そう、仕方がないのだ。
私たちにはそれぞれ帰るべき家があって、そこで家族が待っているのだ。
現実の世界、現実の家、現実の家族。
これが、私たちが普段は居なければならない場所なのだ。
分かっている、分かっているよ。
それでも、この思いは募る。
もっと会いたい、もっと一緒にいたい、もっと一緒におしゃべりしたい、一緒に夜も朝も過ごしていたい。
もっと、という言葉がどれほど溢れれば気が済むのだろう。
きっと、無限にでも繰り返せるくらいだろう。
それくらい、ツインレイが恋しくて仕方がない。
ツインレイとメールで会話をしているだけでも、やがて体の奥が疼いてくる。
ツインレイと愛し合っていることを想像するだけで、体の奥がきゅんきゅんと疼いてたまらなくなるのだ。
ツインレイをいっぱい、奥深くまで受け入れる、秘められた場所。
それは、ツインレイも同じで、やはり体の反応が高まっている。
私たちは同じように互いを恋焦がれ、求め合い、体の感覚までも共有しようとしているのだ。
さびしいという思いも、やるせなさも、体の疼きも熱も、こうやってお互い分かち合おうとしている。
自分一人だけで抱えて苦しまなくてもいい。
そう思うと、それでも嬉しいものがあります。
自分だけじゃない、って。
どちらか一方通行なものではなく、どこまでもおんなじというのが嬉しい。
もっともっと、いっぱい愛し合って、すべてを忘れて、どこまで快楽の海に二人で沈んでいきたい。
その快楽の海は、どこまでもどこまも深くて、もう深すぎるほど沈んでゆけるのです。