まさか私にツインレイがいたなんて

アラフィフでスピリチュアル好き、既婚の私がツインレイと出会った。二人の「伴侶」と共に生き、ツインレイとの愛の軌跡と想いを綴るものです。

我ながら乙女(笑)

年が明けてから1回会える時があって、しかも普段なら作ることができない二人だけの長い時間を過ごせたので、それがとても楽しくて。


そのあと、ツインレイの仕事が忙しく、休日も会えませんでした。


休日でも仕事を頑張るツインレイ、よくやるなあと思いますが(笑)


管理職の身分ですし、やることもいっぱい抱えているから仕方のないことなのですが。


でも、日々も仕事が遅かったり、お互いのライフサイクルが当然違うわけなので、なかなか会話のペースも合わず・・・。


ラブラブの会話もあまりできない日々でした。


前回会えた時がとても楽しくて二人だけの濃厚な時間を過ごせた特別な時間だっただけに、その反動が大きくて。


会えなくてまだ3週間も経ったわけではないのに、前に会ったのはいつだった?って思うくらい(汗)


頭では分かっているのですが、感情としては、やはり寂しさを感じる自分がいる。


ツインレイに比べて自分の方が、まだ時間に余裕があるだけに尚更、もっと会いたいなあと。


それでもやはり、ツインレイには仕事の方を優先してほしい。


あるいは、ご自分の家族のことも。


だから、私は我慢する。


その我慢、というのは、自分の人生において幼少期からすでに身につけていたことだと思います。


嫌な思いをしたり、時には生きることに精いっぱいだった時もあるので、とにかく我慢が自分の中では当たり前になっていることがあって。


それでも、本当に自分の心が壊れなかったのは、やはりどこかで無意識に、上手に自分の心のバランスを保っていたようです。


それが、自分の生きていく処世術でもあったような。


それはともかく、今回もツインレイと会えず、甘い会話も思うようにできないことも我慢していて。


それは、ふと気づくと、自分の感覚を閉じてしまったのだろうか?と思うことがあります。


ツインレイに会えない寂しさを紛らそうと、寂しさを感じまいと振舞っているうちに、ツインレイを求める体の疼くような感覚を忘れかけていることにふと気づきます。


ツインレイを想い、抱かれることを考えると、子宮がきゅんとして疼くのがわかるのです。


愛する人に何度も身体の奥深くを貫かれる喜びを、この子宮が深く覚えているから。


でも、会えずにいて寂しさを感じまいと思っているうちに、子宮でさえも心を閉じようとするのでしょうか。


セッ〇スをしていてあんなに感じ、絶頂に達し、ひたすらに求め合って高まり合い、どうしようもないほどのまさに身を焦がすような感覚が、どうしても薄れてしまうようなのです。


歳のせいで記憶力がやばくなっているのか?と突っ込まないでくださいね(笑)


抱き合い、ひたすらに愛し合っている時はもう至福しかなくて、ずっとこの感覚も気持ちも何もかも覚えていたいと切望するのに。


それでも、どうしても会えないでいる時間に負けてしまいそうになる。


記憶に刻んでいたいことが、どうしても脳からも、体からも消えていきそうで。


自分自身としてもやるせなくなるというか、切なくなります。


そんな時に、ツインレイにメールを送った時。


また一緒にゆっくりと、自分の手作りのお弁当をツインレイと一緒に食べたいなあと。


呟きのような、何気ない思いを綴りました。


寂しさを出すまいとするかのように。


以前の記事でも触れたことがありますが、主人は私だけでなく、誰かが家で作ったような料理は食べたがらない人なので。


ずっと自分の手調理を主人に食べてもらうことはほとんどないに等しく、それで数年間やってきていたのですが、今のツインレイに出会って。


私のお粗末な手作り料理でも食べてくれるとわかりました。


それが嬉しくて。


それ以来、ホテルでの逢瀬の時は、余裕があれば自分の手作り弁当を持っていくことにして、お昼に一緒に食べるのが多くなりました。


だから今回もそうしたいなあと言った時、ツインレイからこんな返事が返ってきました。


「とわのつきと、又のんびりお弁当一緒に食べたいね


可愛いとわのつき、愛してるよ」


そして、文末に、ハートマークをしっかり2個、つけてくれました(笑)


この言葉をもらえただけで、ずっと会えず甘い言葉も足りずくすぶっていたようなこの気持ちが吹っ飛ぶかのようでした!


いや、我ながら単純だなと思ってしまいました(笑)


ツインレイの本当に何気ない一言にでも、こんんなに感情を動かされて、そして幸せな気持ちになれる。


やっぱり言葉にして伝え合うって大事なんだよなあって。


お粗末な手作りお弁当でも、一緒に食べたいと思ってくれるだけでも嬉しい。


そう思うと、会えないでいた寂しさも薄れていくようで。


会えなくても、またそれなりに、ちゃんと自分の時間を過ごしていこうっって思えたりするのです。


そういう切り替えも大事ですね。


会えないからって、ずっとその気持ちに執着はしていたくない。


会えない時間の長さには、つい負けてしまいそうになるけれど。


でも、こんな風に何気ないところで心をきゅんと揺さぶってくれるような、優しくそして甘い言葉をもらえたら、やっぱりあなたのことが好き~って思ってしまうのです(笑)


いいんです、年甲斐がなかろうと。


嬉しいものは嬉しいもの、そして、愛しいものは愛しいもの。


幸せなものは、幸せ。


可愛いなあって、愛してるよって。


それはもう、いくらでも、これからずっと言ってほしい。


そして、そう言いたくてたまらなくなるような、ずっとそう言ってもらえるような今の私であり続けたいと思います。


ツインレイがこんなに心から愛してくれるような、ありのままの今の自分で。