愛を感じる
ツインレイと逢瀬を重ねている時、昼になる前に待ち合わせをしてホテルへ行き、夕方時間が許す限りぎりぎりまで共に時間を過ごすことが多いです。
それは、実にお互いだけしか見えていない、二人だけの愛の世界で。
ただただお互いを愛おしく見つめ合い、愛に満ちた言葉と眼差しを交わし、そして身も心も深くつながれていることを何度も確かめ合います。
その間に、お昼があるので、もちろんお昼ご飯も食べないといけないのですから、ずっとその行為を続けているわけにはいきません(笑)
最初は、コンビニで何か買って持っていき、そこで食べるのが多かったのですが。
しばらくして、私は、自分が作った手料理のお弁当を持参することを提案しました。
平日は会社員をしているので、会社でもいつもお弁当を持って行って食べることが多いのです。
それに、毎回コンビニなどで買うよりは、自分で作った方が少しでもおいしいだろうし、少しでも体に良いのではと。
正直、料理にはそんなに自信はなく、レパートリーもそんなにないし、どちらかというと手抜きのところもあるし。
そんなに自慢できるものではないのですが、それでもツインレイに食べてくれると嬉しいなと思うものがありました。
実は、私の旦那は手料理を食べてくれないのです。
今は、宅配弁当に頼るところが多く、あとはスーパーで買ってきたりテイクアウトを利用したりなどしています。
だから、自分で用意することはあんまりありません。
旦那は他の人と変わっているところもすごく多いのですが、その中に、誰かが作った家庭の料理は食べたくないという持論がありました。
レストランやお店など、ちゃんと食事のプロが提供するものなら食べたいと思うのですが。
私のように家庭で手をかけて作るものは、何と言うのでしょうか、信用できないみたいなもので食べたくないと拒否するのです。
そこは、育ちの影響もあるのかもしれません。
結婚してすぐにその事実を知り、私はある意味、ショックでした。
母が専業主婦だったからずっと毎日家で食事を作ってくれるのが当たり前で、それを見ながら育ったわけなので、結婚したら自分も同じようにすると思っていたのです。
専業主婦ではないけれど、それなりに実家と同じように、料理を作って食べたらいいんだろうなと。
それが、全く受け入れられないと分かり、そのショックと失望は大きくて。
そのために生まれた葛藤、悲しみ、そして自分の概念を壊して彼の方に合わせてゆくしかないことにはかなりの精神的苦痛を伴い。
すべて開き直り、それまでの固定概念を壊し、不健康ではあるけれど彼に合わせるようになるまでには、4年の歳月を費やしました。
これは、なかなか他人に分かってもらえるだろうか、いや、分かってもらうのも難しいかもしれないと思うところです。
そんな事情があったものですから、誰かのために料理を作るということはとうの昔に忘れ果てました。
自分のために弁当を作ったり、旦那がいない時に自分で食べたいものを作って一人で食べる、そういう風になりました。
でも、ツインレイに出会って、ふと自分の作ったお弁当を食べてもらえたらなと思いついた私。
料理に自信があるわけではないけど、かつて亡き母とも手作り弁当を楽しく食べあっていたように、ツインレイともできるのかなと。
少しドキドキしながら、ホテルの部屋でいそいそとお昼の用意をして、一緒に並んでお弁当を食べました。
おいしい、と言ってくれたツインレイ。
残さずにきちんと食べてくれました。
その時の嬉しさと言ったら、もう大げさに言ってもいいくらいなのではないでしょうか。
愛する人のために料理を作り、それを食べてくれる。
その何でもないようなことが、実はこんなに嬉しくて、幸せで、楽しい時間なんだと、私はようやくそのことに気づけたのです。
味に自己満足する時もあるし、時には、うーんちょっと味付けがね、と言われる時もありますが(笑)
でも、それでも基本的にちゃんと残さずに食べてくれています。
食べ終わり、ごちそうさま!と言ってくれて、お粗末様でした~!と返せることが楽しくて。
それからは、時間と余裕がある時は、お弁当を作って持っていくようになりました。
お弁当を作って持っていくね、とメッセージを送ったら、ほんと!と嬉しそうな言葉が返ってくるので、少しは楽しみにしてくれているんだなあと。
もっともっと時間と手間をかけて色々と作れる余裕があったらいいのですが、旦那に見つかってもいけないので、そこは無理しないようにしています。
先日も、会えることになった日の前に、やり取りをしていて。
今回もお弁当を持っていくね、と伝えると、そのことを予想していなかったらしく。
いいの?しんどくないの?と、心配してくれたツインレイ。
めちゃ大したことないおかずだけど、それでも良かったら~と返事すると。
とわのつきが作ってくれるのはありがたいよと返って来たので、食べてくれるから嬉しいんだよと答えたら。
とわのつき、愛を感じるよ。
ツインレイのその言葉に、私の方こそ深い愛を感じました。
何気ない言葉なのですが、とても嬉しい言葉でした。
こんな何気ないやり取りでも、自分の愛がこんなに伝わったのだと。
愛する人のために作りたいのだと。
私の方こそ、彼に幸せをもらえました。
愛する人に自分の手料理を作れて、一緒に食べられるという充実した時間。
そこにも、心が通い合うものがありました。
一緒に手料理を食べなければ愛はない、ということはもちろんないでしょうし、人それぞれの形もあると思いますが、私にとってはそれが心から欲しかったことなのだと気づかされました。
忘れ去り、あきらめきっていたことを、このような形で取り戻すような、叶えられるというのは実に不思議なものだなと思いました。
ツインレイは、すでにとうの昔に忘れ果てていた当たり前の幸せ、感覚をまた一つ、思い出させて与えてくれたのです。